【ケンタロウさん】自分の「おいしい」と相手の「おいしい」は、違うことがある。

ケンタロウさんがこんなことを言ってます。

自分が大好きなものを作って、それがどうしても気に入ってもらえなかったら、どっちみちその人とはそんなに仲良くはなれないだろうしね

出典ケンタロウの基本のウチめし
(オレンジページ)
「料理はだれかのために作るものだ」より

 


 

もし万一、自分で食べてみておいしかったケーキを、あげた相手がおいしくないと言ったら、それはもう味覚が違うということなので、どの道そいつとはそう長くは続かないと思われます

出典講談社オンラインマガジン「Web現代」連載「ケンタロウの恋するハッピーメニュー」
「バレンタインデー」より
 

ケンタロウの恋するハッピーメニュー|クラシックチョコケーキ

バレンタインデー

好みが合う人と合わない人がいる

「好みが合わないのなら、なんとか合わせてみようよ」と言うかと思いきや、ケンタロウさんは「味覚が違う人とは長く続かない」と言います。
よくわかります。

「自分のおいしいと相手のおいしいは違うこともある」は、人生の真理です。
自分がおいしいと思っているものを好きな人もおいしいと思ってくれるのが理想ですが、そうでないこともよくあります。
それが好みであり、相性です。

たとえば、ケンタロウさんはカレーが好きですが、たぶんカレーが苦手な人とは付き合えません。
そのカレー一つとっても、肉や他の具材の種類、辛さ、濃度、白いご飯かサフランライスか、福神漬けからっきょうか、盛り付け方に至るまで様々な好みがあります。

食べ物に限った話ではなく、美的感覚や金銭感覚もそうです。
好みを相手に合わすのは結構大変です。
相手の好みをじわりじわりと変えていく作戦もありますが、かなりリスキーです。
「なんか合わないなぁ」とつらい思いをするなら、合う人を探した方がいいです。
ガマンは、遅かれ早かれ破綻します。
食べ物のことなら、なおさらです。

一緒に「おいしいね」が感じたい

食べ物の好みが違うからと言って、その人のことが嫌いなのではありません。
あくまでも好みが違うだけです。

料理を作る時はだれかを喜ばそうと思って作っている
自分を喜ばすために作る
人に作る時もまず、自分がうれしくなるようなものを作る
喜ばすためにうれしくなるようなものを作る
食べた人が「おいしい」と笑ってくれて、作った自分もうれしくなる

出典ケンタロウの基本のウチめし
(オレンジページ)
「料理はだれかのために作るものだ」より(一部抜粋)

ケンタロウさんは、食べた相手にもうれしくなってほしいし、作った自分もうれしくなりたいのです。
一緒に「おいしいね」を感じたいのです。
一緒に「おいしいね」を感じるには、好みの合う人と食べることです。
自分の好きを大事にするのは、決して悪いことではありません。
まず自分がハッピーでないと、誰かをハッピーにすることはできないのです。
 

今できること自分の「好き」を、信じよう。