【ケンタロウさん】糖質制限は、幸せ制限だ。

プレジデントオンラインで、肉食中心の食生活の記事を読みました。

富裕層が”月100万円分”の肉を食べる理由 食事は長寿と美容のための”ノルマ”

「寿命」と「肥満」には関連性があるのか?


 
彼は健康のために糖質を摂らず、肉食中心の食生活を送っているそうです。
月100万円分の肉を食べるとも言ってます。

「肉がうまい」とは思ってない

たとえば、「肉が好きで好きでどうしようもなく、朝から晩まで肉のことを考えていて、気がついたら肉ばかり食べている」はわかりやすいです。
彼もそういうタイプなのかなと思ったら違いました。
体のために肉を食べてるのであって、「肉がうまい」と思って食べてないそうです。
私は衝撃を受けました。

おいしいと思っていないのに、月100万円も肉を食べているのです。
ある意味、贅沢な修行です。
おいしいと思っていないのですから、いくら体のためとはいえ、義務感で食べてるようなものです。
食べられる牛や豚の立場もないです。
ただでさえ人間の理不尽すぎる都合で殺されるのに、殺されるはおいしいと思ってくれないはで、まさに踏んだり蹴ったりです。

「何を食べるか」は「どう生きるか」

彼の食生活を想像して、幸せとは何かを考えさせられました。
「何を食べるか」は、「どう生きるか」です。
人間にとって最も大事なのは、食べることです。
生き延びるためにも何を食べるかが大事ですが、おいしいかどうかも大事です。
「健康で長生きできるなら味なんてどうでもいい」というのも生き方の一つですが、それはそれで窮屈な感じもします。

彼は「体を犠牲にして糖質を摂るなんてばかげてる」とも言ってます。
ケンタロウさんにしてみれば、「おいしいを犠牲にして肉を食べるなんてばかげてる、肉に失礼だ」です。
ケンタロウさんにとって糖質制限は、幸せ制限と同じです。
白いごはんが大好きなのですから、それはつまり「糖質大好き」です。
それを制限するのですから、どれほど味気なくつまらない食事かがよくわかります。

体のためか、おいしさのためか

食事は、大きく2つに分かれます。
体のために栄養価のことだけを考えて食事をするのか、それともただ純粋においしさを求めて好きなものを食べるのか。
どっちも正しく、どっちも一つの生き方です。

人間は、食べたもので作られています。
ケンタロウさんは、幸せというごはんを食べています。
だから幸せなのです。

私は、「とにかく白いごはんが好き」と断言する幸せな人が書いた幸せな本が好きです。
仮に栄養が偏っていようとも、生き方さえ偏っていようとも、読み続けます。
ケンタロウさんが好きだからです。
たとえばかげていても、幸せです。

白いごはんの味は幸せの味