「ケンタロウ本のケンタロウ度を測ってみた」でわかった3つのこと

いろんなケンタロウ本を比べてみたら、3つのことがわかりました。

まずは、こちらをお読みください。
 

①ケンタロウ本が変わった境目

今回、ケンタロウ本を見比べるにあたって、出版年月日順に読んでいきました。
時代やケンタロウさんの変化もよくわかり、流れや節目も発見できました。

初期の本では、ケンタロウさんのおちゃらけたカットもよく見られたのですが、ある時期からはなくなっています。
大まかですが、2003年くらいの本から徐々に少なくなっていきます。
2006年くらいからの本は、割と落ち着いたケンタロウさんの写真になっています。
特別な理由はないかもしれませんが、順に見ていくと、それがとてもよくわかります。

②出版社によって違いがある

各出版社も、特色ある本にしたいため編集方針もまちまちです。
一番わかりやすいのが、主婦の友社です。
主婦の友社のケンタロウ本は、ケンタロウさんの写真も大きくて、カット数も多く、タレント本のような印象さえ感じます。
あえてキャッチーに作っているなというのが随所に見られます。

一方、大真面目にレシピ本の教科書的に作っているのが文化出版局です。
 

検索結果【文化出版局】

文化出版局の本の検索結果です。


 
どの本もケンタロウさんの写真は少なく、イラストもほとんどありません。
エッセイはあることはあります、それでも他の出版社に比べると少なめです。
レシピ本の王道路線をいってる感じがします。

講談社の本は、タレント本とレシピ本の中間のような感じです。

③エッセイと写真の重要性

「ケンタロウ度を測ってみた」は、「いい本はどれか」ではなく、あくまでもケンタロウ度を測っています。
ケンタロウ度が高い本は、ひと言で言えばケンタロウさんのキャラがわかる本です。
ケンタロウ本の読者が全員ケンタロウさんをよく知っているとは限りません。

たとえば、ケンタロウさんのことをまったく知らない人が読んだ場合、写真やエッセイがあるとどういう人かがわかります。
あるのとないのとではまったく違います。
経験として実感がありますし、きっと多くの読者がそうでしょう。
レシピさえあればレシピ本として成立しますが、著者の人となりがわかった方が愛着が湧きます。
これは大事なポイントです。
恋愛と同じです。

レシピ本は、レシピさえわかればそれで成立しますが、やっぱりエッセイがあってほしいです。
エッセイやコラムを読んで、ケンタロウさんの考えがわかって上で料理を作るのとそうでないのとでは、同じ料理でも味わいは変わってきます。
味ではなく、味わいです。
同じレシピなので味としては同じですが、味わいはやっぱり違います。
食べる場所によって味の感じ方が違うように、それほどに人間の舌は敏感なのです。

総じてケンタロウ度が高い本は、写真やエッセイが多いです。
いろんなレビューを見ても、そういう人は多いです。
ケンタロウ本から写真やエッセイがなくなってしまったら、「もうそれはケンタロウ本ではない」くらいに、写真やエッセイは大きな存在です。
特にエッセイがなかったら、ただのレシピ本として見ていたでしょうし、手に取る回数も多くはなかったかもしれません。

おまけ

今回、「ケンタロウさんがスタイリングを担当した」というのは考慮から外しました。
私はケンタロウさんがスタイリングを担当した本が大好きで、「別格な本」と位置付けています。
それを考慮に入れてしまうと、それだけでグンと点数が跳ね上がって、軒並み上位になってしまいます。
どの本もなるべく平等に採点したかったので、グッとガマンしました。