【ケンタロウさん】料理に必要なのは、〇〇だ。

ケンタロウさんは、料理がうまくなるには、あるものが必要だと言います。

それはなんだと思いますか。

普通は、技術が大事だと考えます。
「料理は愛情」とも言われます。
どちらも間違ってはいません。

ケンタロウさんは、「下心がないと料理がうまくならない」と言っています。

出典:渡辺有子のしあわせな食卓
渡辺有子
宝島社

 

ケンタロウさんは、いつも「ウケたいっ」と思っていたそうです。

雑誌「ku:nel クウネル」(マガジンハウス)のインタビューでも、「みんなにウケタイという下心の強い子供だった」とあります。

出典:ku:nel クウネル
マガジンハウス
vol.19(2006年5月号)
「濃い口もいいけれど… うすくちケンタロウ。」より

 

「カツ代流しあわせごはん ケンタロウ流ウマイめし」(講談社)でも、「誰かの評価を得ようとか食べた人のいい顔見たいという下心は大切な要素」と言っています。

 

せっかく食べてもらうなら、ウケたいです。
「おいしい」と言ってもらいたいです。
ゴールを狙いにいきたいです。
モテたいのです。
「喜んでもらいたい」は「モテたい」とベースは同じです。
どちらも純粋な気持ちです。

ウケたいのと変にカッコつけるのは違います。
変にカッコつける人は、小手先のテクニックで勝負しようとします。
小手先のテクニックは通用しません。
見え見えなテクニックはいやらしいです。
そんな甘いものではないのです。

下心は、ある意味、不純な動機です。
でも、人間としての大事なエネルギー源です。
下心がなかったら、人間はとっくに絶滅しています。
「モテたい」は、生きる原動力です。
生命力です。
「モテたい」と思うから、生き物として進化してきたのです。

料理も同じです。
「おいしい」のひと言のために、これでもかというくらいにとことん手を尽くすのです。
ただ単に料理がうまくなりたいというきれいな動機だけでは、うまくいかなかった時にモチベーションが続きません。
気持ちがポキッと折れてしまうのです。
「もうちょっとコクを出すにはどうしたらいいかな」とあれこれ試行錯誤を繰り返します。
これは攻めです。
波状攻撃です。
ダメモトでやってみるのです。
守りではありません。
モテたい人は、攻めています。
「モテたい」と言いながら、守っていたらおかしいです。
ずっと家にいるのに「恋人ができないのですが」と言ってるようなものです。
モテたい人は、「もしダメだったらどうしよう」と考えません。
いちいち細かいことは気にならないのです。
「もしダメだったら…」と考えている時点でいやらしいです。

「おいしい」に終わりはありません。
「これぐらいでいい」はないのです。
食べる側は「次はもっと」と期待します。
作る側も、それに応えます。
食べる人が期待する「おいしい」をさらに超えていく気持ちです。
期待値が上がれば上がるほどグングン成長します。
その結果、どんどんうまくなっていくのです。

心がカサカサしてない?

ケンタロウさんは、料理のことを言ってますが、これは人生の本質です。
「おいしい」と言ってもらうためには、努力しないといけません。
何もしないで、自動的に「おいしいね」はありえません。
努力の結果が、「おいしいね」です。
「モテたい」は、結局は自分のためになっているのです。

「モテたい」がなくなったら、老化の始まりです。
心がカサカサになっているのです。
カサカサになっているからと、表面にクリームを塗ってもダメです。
それこそ小手先のテクニックです。
若々しくいるためには、内面からイキイキすることが大事です。
年齢は関係ありません。
若くても高齢者のようなカサカサした人がいます。
いつまでも若い人は、常にギラギラしています。
いい意味で飢えているのです。
死ぬ間際まで、「モテたい」と思えるかどうかです。

今できること堂々と、下心を持とう。