【ケンタロウさん】やった人にだけ見える、景色がある。

石田衣良さんが、「中学生の娘が本を読まないけど、どうしたらいいか」という質問に答えています。

なやみのとびら

中学生の娘が本を読まない|エンタメ!|NIKKEI STYLE

中学生になっても次女が全くといっていいほど本を読みません。


 
私も、石田さんと同じ意見です。
読書は義務ではありません。
読みたい人だけが読めばいいですし、読みたくない人は読まなくてもいいです。
無理に読ませたところで、身につくどころか、もっと嫌いになるだけです。

料理なんてしてもしなくてもいい

上の相談で、本を読むことを料理に置き換えてみると、ケンタロウさんの考えと通じるところがあります。

料理なんて別にしてもしなくてもいい

引用:ケンタロウ+キッチンでおいしい生活
(ソニー・マガジンズ)

 

いちばん大事なのは、おいしいものを食べることであって、作ることではない
毎日外食だって、おいしいものさえ食べられるのならば、ぜんぜんまったくかまわない

引用:ケンタロウの121レシピ なんでもありッ!
(学習研究社)


 

だれもが料理ができるようにならなきゃいけないわけじゃない

引用:はじめてのキッチン
(文化出版局)

料理も、読書と同じように、したい人はすればいいし、したくない人はしなくてもいいです。
「しなければならないこと」ではありません。
料理をしないからといって、ダメ人間ではないのです。

した人だけが味わえる楽しさがある

料理にも読書にも共通していることがあります。
それは、した人だけが味わえる楽しさや面白さがあることです。
やった人だけが味わえる特権です。

料理をしない人に、いくら「料理は楽しいよ」と説明したところで、やってみないことにはその楽しさはわかりません。
その楽しさは、人によって違うからです。
楽しくない場合もあります。

ケンタロウさんが感じる料理の楽しさと、あなたが感じる料理の楽しさは違います。
そこが面白さであり、深さです。

ケンタロウさんが「料理は楽しい」と思えるのは、楽しさに気づけたからです。
当たり前のことですが、大事なポイントです。
料理も読書も、必ず「楽しい」ではないのです。
楽しいかもしれないし、もしかしたら楽しくないかもしれません。
それはやってみないとわかりません。
目の前のプリンがおいしいかどうか、食べてみないとわからないのと同じです。
「わからないからやってみる」と思えるかどうかです。

それは楽しいですか。
それは面白いですか。
それはどんな味ですか。
それはおいしいですか。
そんなことを聞いても意味がありません。
楽しいか、面白いか、おいしいかはあなたしかわからないからです。
あなたが感じることです。

料理も読書も、しなくても、生きていけます。
料理も読書も、生き方です。
料理をする人生を選びますか。
料理をしない人生を選びますか。
どちらが良くて、どちらが悪いという生き方ではありません。
どちらも正しい生き方です。
どっちを選んでもいいのです。
 

今できること物事の深さに、気づこう。