【ケンタロウさん】「あって当たり前」と思わない。

ケンタロウさんが掲載されている古い雑誌を探しに、電車に乗って大きな図書館に行きました。

ページがない

図書館で扱う雑誌は、過去1年分しか保管していないところが多いですが、その図書館は10年以上前の雑誌も見ることができるのです。

その日の目当ては、「With」(講談社)の2005年2月号です。
とじ込み付録に「ケンタロウの和食の基本と献立カンタンBOOK」が付いてます。

目次を見ると、163ページとありました。
そのページにいくと、ないのです。
なんととじ込み付録まるごと抜かれているのです。
係の人に「見たいページが抜かれていました」とだけ伝えて返却しました。

実は、こういうことはよくあります。
私も何度も経験しています。
NHK「きょうの料理」テキストでも、何冊もケンタロウさんのページが切り取られていました。
切り口が同じだったので、おそらく同じ人がやっています。

私は切り取られたページを見つけても、いちいち落ち込みません。
「ああ、またか」と淡々としています。
「ケンタロウさんは人気者だから仕方ないな」と納得してしまうくらいです。
もちろん、ページを切り取るのは許される行為ではありませんが、もうすでにないので、これ以上どうすることもできません。

見たいページが切り取られているのを見つけた時、よくあるのが次のようなパターンです。

①ガッカリする
「せっかく交通費も時間も使って来たのに」と肩を落とすのです。
期待も大きい分、ショックも大きいです。

②ムッとする
正義感の強い人ほど「なぜ公共の本を切り取るんだ、信じられない」と怒ります。
係員に「どういう管理をしてるんだ」と詰め寄る人もいます。

一度でも切り取られたページを見つける経験をしていると、次に見たいページがあった時は
③あることに感謝できる
のです。

ページがあって当たり前ではないのです。
10年以上も残っていること感謝したくなるのです。

内容は違いますが、ケンタロウさんのことが載っていたサイトが、突然削除されることがあります。
「こんなことなら保存しとけばよかった」と思っても、後の祭りです。
私も何度も痛い目に遭っています。
掲載期間が終わればすぐに削除するサイトもあれば、15年以上経っても残してくれているサイトもあります。
削除されてしまって何度も悔しい思いをしていると、残っているサイトを見つけただけで拝みたくなります。
それくらいにうれしいのです。
たとえば、帝京大学のインタビューはきれいな写真まであって、見つけた時は飛び上がるほどうれしかったのをよく覚えています。

 

あることは奇跡

あって当たり前と思ってしまうと、ないことがわかった時点でムッとしてしまいます。
図書館の本や雑誌はもちろんですが、すべての物は「神様からの借り物」だと考えればムッとすることはありません。
神様にムッとしたところで、いいことは一つもないからです。
あって当たり前ではなく、あることは奇跡なのです。
そう思えるかどうかです。
たとえボロボロになっていても、10年以上前の雑誌が見れるのは、もうそれだけですごいことなのです。
 

今できることあることに、感謝しよう。

ケンタロウさん掲載号