「小林カツ代伝」/ケンタロウさん関連ザックリまとめ

「小林カツ代伝」(文藝春秋)を読みました。

 
出典:小林カツ代伝
私が死んでもレシピは残る
中原一歩
(文藝春秋/2017年1月発売)
 

2019年4月10日、文庫版も発売されています。
 

文春文庫『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』中原一歩 | 文庫

そのレシピは、ずっと生き続ける 戦後を代表する料理研究家・小林カツ代。「家庭料理のカリスマ」と称された天性の舌はどのように培われたのか。レシピ付き傑作評伝。


 

カツ代さんは大の引っ越し魔

・突発的引っ越し症候群
上福岡→東久留米→田無→ひばりヶ丘→西荻窪→浜山田(駅から徒歩10分ほどのマンション)

・西荻窪が一番好きだった
→西荻窪駅から15分、閑静な住宅街の高級マンションの3階が仕事場
→同じフロアのはす向かいがケンタロウ事務所
→間取りは100平米の2LDK

ケンタロウさんの大好物

唐揚げ
すき焼き
ミートソース
ビックチーズハンバーグ

・姉のまりこさんのお気に入りはコロッケ
→小林家のコロッケは俵形
→隠し味にコンデンスミルクを入れるのはカツ代の夫の母の手法

喫茶アメリカン

カツ代さんは千日前商店街の喫茶店「アメリカン」が好き
→ケンタロウさんはここのホットケーキとプリンが大好き

大阪「純喫茶アメリカン」レポート|コーヒーのチカラ

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カツ代さんの3つの約束事

①おいしくて、早くて、安い
②特別な材料は使わない
③食卓にはユーモアがないといけない
(いずれもケンタロウさんと共通)

夫の転勤で神戸に移住

・神戸の洋食屋さん「グリルミヤコ」に出会う
→カツ代さんはここのハンバーグが大好き
→この時はまだただの主婦

オレンジイングリッシュスクール英会話教室

カツ代さんと夫、まりこさんとケンタロウさんとで週に一回、東久留米駅前のオレンジイングリッシュスクール英会話教室に通っていた
(現在はない)

長女まりこさん

カツ代さん33歳の時にまりこさんを産む
→その翌年にケンタロウさん

吉祥寺の私立高

・まりこさんとケンタロウさんは吉祥寺の私立高(明星学園)に通う

・帰りにはカフェや喫茶店に行く
→友達はケーキとコーヒーのセットだけど、二人はお金がないので、いつもパフェばかり頼んでた
(パフェだと飲み物は必要ないから)

・学校で二人が顔を合わせると、「なんでうちにはお金がないのか」といつもブツブツ文句を言っていた

・まりこさんとケンタロウさんが高校生の時、家族で焼肉を食べに行ったのはいいけど、お金のことを心配してどうしようかと悩んでいたら、カツ代さんが「足りなかったら後で頼めばいいじゃない」と言われて驚いた

わんぱく少年

・ケンタロウさんは子供の頃からお調子者でわんぱく少年、人見知りしない

・中学生の頃は母にも反抗した
→あなたがグレるなら、私(カツ代さん)もグレると対抗
(さすが大阪人)

小学5年で中退

・ケンタロウさんは小学5年の時、学校を中退
→学校の理念自体は自由な校風だったけど、保護者や教師が保守的で行事に参加できないカツ代のことで責められイヤな思いをした
→学区内の公立校に転入

・まりこさん談

ケンタロウをいじめた先生は数年後にいい人になったそうで、でもカツ代はその先生のことを許さないけど、ケンタロウは許す
ケンタロウは大らかで何事にも根に持たない性格で、母の血を受け継いでる

外で遊んでいても、帰って米研ぎ

・ケンタロウさんは小学生の頃から友達と遊んでいても、時間になると家に戻って米研ぎをしていた
→当時の炊飯器はタイマーセットや保温ができないため自分でやらないと炊きたてのご飯が食べれられないため

・中学3年になると、母の代わりに台所に立ち、母が出張中はまりこの弁当を作る
→まりこさん談

姉という身分的な絶対的地位を利用し、お腹が減ったら弟に何か作ってと、半ば命令のようにお願いしていた

ケンタロウさんの中華おこげ

・まりこさんが社会人になり、仕事でクタクタに疲れて帰った時、ケンタロウが中華おこげを作ってくれて、それが忘れられない味
深夜に帰宅したにもかかわらず、仕込みをして待っててくれていて、ちゃんと野菜たっぷりの餡まで完成させていた
そもそも私が家で作るのは難しいおこげをリクエストしてしまったのに、弟は喜んで作ってくれた。
昔から味は抜群だった

カツ代の味の原点

カツ代の味の原点は母の味であり、関西の薄口が根底にある
→ケンタロウは男の子だし関東育ちで、味付けはビシッと濃い味
→おいしさにこだわりはお互い絶対に譲らない

親の七光り

ケンタロウさんは親の七光りと言われるのを嫌った
→独立する時には「小林」を取り「健太郎」でもない「ケンタロウ」にした

料理は面白くない

まりこさんは小林カツ代の娘でありながら、料理を面白いとは感じなかったし、作らなくていいのなら作りたくなかった
でもおいしいものを食べたいという思いは人一倍あったし、おいしいものとそうでないものは瞬時に判別できた

娘に打診

カツ代さんが亡くなり、まりこさんに小林カツ代を継いでくれないかと打診するも「料理には関心がない」と辞退
それでも台所を立つたびに母を思い出す

まりこさんが作った鶏の唐揚げ

ある日、家族が大好きだった鶏の唐揚げを友人に振る舞った
それを食べた友人が目を丸くしながら「こんなおいしい唐揚げを食べたのは人生で初めて」。
その唐揚げはカツ代レシピを忠実に再現してて母の味の通りに仕上がっていた
おいしいものしか食べさせてもらえなかったおかげで、作るのは苦手でもおいしいことはわかる
今でもコンロに前に立って「母、降りてこい」とおまじないのようにつぶやく
でも唐揚げだけは母のようには上手に揚げることができなかったけど、その時はたまたま本当にカリッと香ばしく揚げることができた
母の味が再現できれば誰だって喜んでくれるのか
そう思うと、母は亡くなったけどレシピの中に生き続けてるし、すごいと今でも思う

書評

 

小林カツ代は「台所意識革命のジャンヌダルク」だった | 文春オンライン

「食」という字を分解すると「人」と「良」になる。舌は感性の源ゆえ、何を食して生きるかは大切だ。料理研究家の草分けである小林カツ代は、女性にとってのより良い「食」を求め、全力で生き抜いた。