ケンタロウ本をもっと深くわかるために読んでよかった24冊

ケンタロウさんは、食べることが大好きです。
人間にとって食べるとはどういうことだろう、おいしいってなんだろうと気になっていろいろな本を読んでいます。

料理と科学のおいしい出会い

分子調理が食の常識を変える
石川伸一
(化学同人)

きっかけはこの本からでした。
 


美味しい進化

食べ物と人類はどう進化してきたか
ジョナサン・シルバータウン
(インターシフト)

美味しい進化|インターシフト

人間は、進化の過程でどうやってその食物を食べるようになったのかがよくわかります。

私たちが炭水化物と脂肪をこんなに愛している理由は、衝動の進化をあまり深く掘り下げなくても理解できるだろう。
なにしろ、この2つは純粋なエネルギー源で、そのための味覚受容体まであるのだから。

引用:第10章「デザート」より


おいしさの人類史

人類初のひと噛みから「うまみ革命」まで
ジョン・マッケイド
(河出書房新社)

なぜ人間は激辛唐辛子を欲するのかの考察は面白いです。

どれほど舌が洗練されようが、どれほど料理の素材が繊細なものになろうが、味は、遠い過去から荒々しい衝動を呼び起こす。
そこに含まれているのは、進化のひねり、そして食物にまつわる太古の命をかけたせめぎ合いの記憶だ—
味覚の起源、ホモ・サピエンスの料理発明から最先端科学で獲得された新たな「味わい」まで、「おいしい!」の科学と人類学のすべて。

引用:カバー紹介文より


人類はなぜ肉食をやめられないのか

250万年の愛と妄想のはてに
マルタ・ザラスカ
(インターシフト)

人類はなぜ肉食をやめられないのか|インターシフト

めちゃくちゃ面白いです。
肉はおいしいです。
ですが、「地球環境的には肉食はよろしくない」というのが強烈に突き刺さりました。
肉大好き人間は絶対に読んだ方がいい本です。


これ、食べていいの?

ハンバーガーから森のなかまで―食を選ぶ力
マイケル・ポーラン
(河出書房新社)

今、自分が食べている物がどうやって作られているのかを知るのは大事です。


ぼくらはそれでも肉を食う

人と動物の奇妙な関係
ハロルド・ハーツォグ
(柏書房)

ぼくらはそれでも肉を食う|柏書房株式会社

「はじめに」の「子ネコをニシキヘビのエサにしてはいけませんか?」で一気に引き込まれました。


「食べる」が変わる 「食べる」を変える

豊かな食に殺されないための普通の方法
ビー・ウィルソン
(原書房)

現在、多くの人が家庭料理という概念に圧迫感をおぼえている。
おいしいものが周囲にたくさんあっても、それを料理して楽しむ時間がないと感じているからだ。
悲しいことだと思う。
わたしたちにはきちんとした食事をする時間がない、という集団心理は、よい食事―とくに誰かと一緒にする食事ほど心を豊かにしてくれるものはないという点で、大きな皮肉といえる。
時間の効率に執着しすぎると、時間を楽しめなくなる。
時間の経験に関する研究は、時間を厳格に管理せず、もっと自由に使うようにすると忙しさを感じる度合いが減ると示唆している―たとえば、その時間を大切な人の夕食を作るためにあててもいい。

引用:第4章「時間がない」より
 

「懐が許す範囲でいちばんよい肉、できれば牧草で育てられた牛の肉を買いなさい」と、倫理的食生活の専門家たちはいう。
だが、わたしたちが長時間の仕事を終えたあと、帰り道に最寄りの店で手早く作れる夕食の食材を探すときに、そんな牧草で育てられた牛の倫理的な肉がどこにあるのか、誰も教えてくれない。
たしかに、ゆっくりと時間をかけて良質な餌を食べ、牧草地で自由に歩ける動物と、暗い小屋に閉じこめられ、穀物の餌で太らされた動物の肉とでは、風味、栄養、そして肥育法において雲泥の差がある。
チャンスがあればもっとお金を出してより高品質の肉を買うほうが、人間にとっても、地球にとっても、動物にとっても、好ましい食肉の消費方法であることはあきらかだ。
食料供給のほかの面と同じく、現代の食肉生産には改革が強く求められている。
しかし、倫理的な肉食の実態が世界中のほとんどの消費者の家計の実態から—時間的な制約からも—かけ離れているのに、そうしろといわれても困るという思いもある。

引用:第7章「戒律的な食べ方」より
 

料理をこの時代に生き残らせるにはどうすればいいのか、という難問に対する回答のひとつは、料理とは何かという基準をゆるめることだろう。
男性が作っても料理。
昨日作ったカレーを電子レンジであたためなおし、自分ひとりでおいしく食べても料理。
曾祖母には想像もつかない「手抜き」 キッチンツールをいくつ使っても、それでも料理。

引用:第8章「料理への回帰」より


食欲の科学

食べるだけでは満たされない絶妙で皮肉なしくみ
櫻井武
(講談社)

別腹の仕組みが面白いです。


生き物を殺して食べる

ルイーズ・グレイ
(亜紀書房)

スーパーでパック詰めにされた肉を買って食べるのと自分で動物を殺して食べるのとでは、食べ方はまったく違ってきます。


ファーマゲドン

安い肉の本当のコスト
フィリップ・リンベリー
イザベル・オークショット
(日経BP社)

魚粉の問題点は知りませんでした。

魚粉は工業型農業の裏に隠された忌わしい秘密の一つで、数百トンの小魚を海から吸い上げ、つぶして魚油を搾り、養殖魚、豚、鶏用の乾燥飼料にしている。
それはすなわち、大きな天然魚や鳥、海洋哺乳動物から食料を略奪することであり、重要な種の激減を招く。
また、汚れた油性廃棄物を垂れ流し、海に「デッドゾーン」を作る。
さらには、加工工場周辺の大気を汚染し、住民の健康を害する。
何より、人間にとって非常に価値のある栄養源を、工業的に飼育される家畜の餌にしてしまう。

魚を魚粉にする工程は複雑だ。
生魚を蒸気で消毒し、水分を絞りだし、貴重な油分を分離し、残ったものを加熱し、乾燥させて固形にする。
乾燥の工程で栄養分が圧縮され、ゴミとなる血液、内臓、鱗、脂肪などは遠慮なく廃棄される。
その処理方法は実に原始的で、大方の工場では生のまま海に捨てているらしい。
それらが流されていくパイプは、脂肪がこびりついた動脈のように詰まりやすい。
工場のなかには、操業シーズンの終わりに、苛性ソーダでパイプ内のヘドロを洗い流すところもあるという。
そうして有害な化学物質も海に流れ込む。
これらすべてがもたらす結果が、酸素のない海底、デッドゾーンである。

すべての引用:第5章「魚」より


フード・インク

ごはんがあぶない
カール・ウェーバー編
(ランダムハウスジャパン)

映画にもなっています。


フードトラップ

食品に仕掛けられた至福の罠
マイケル・モス
(日経BP社)

ケンタロウさんも食べているスナック菓子メーカー「フリトレー」の記述にこうあります。

開発力の高さを誇るフリトレーの科学者たちは、味、歯ごたえ、口当たり、香りなど、商品のすべての要素に知識と技術を惜しみなく投入している。
何も特別な原材料を使うわけではない。
油脂と塩分、商品によっては糖分、それにジャガイモかトウモロコシのデンプン、あとはさまざまな香辛料だ。

引用:第Ⅲ部塩分 14章「人々にほんとうに申し訳ない」より
 


 

商品そのものには、さりげない戦術などない。
加工食品は魅力を最大限に高めるという意図のもとで開発されているからだ。
いや、緻密な計算のもとで設計されているというほうが適切だろう。
パッケージは子どもが喜ぶようにデザインされている。
広告には、買わないというわれわれの理由づけを覆すべく、あらゆる心理トリックが使われている。
味も強力だ。
売り場を通りかかってつい手に取ってしまったが最後、われわれは次回もその味をしっかり覚えている。
そして何より、加工食品の原材料とその配合は、熟練の科学者や技術者たちが計算しつくしたものだ。
知っておくべき最も重要なポイントは、食料品店の店頭に偶然の要素は一つもないということである。
すべては目的に沿ってなされている。

引用:エピローグ「われわれは安い食品という鎖につながれている」より


火の賜物

ヒトは料理で進化した
リチャード・ランガム
(NTT出版)

初めて火を使って肉を食べた人の顔を見てみたいです。


人間は脳で食べている

伏木亨
(ちくま新書)

面白かったです。


食べることの哲学

檜垣立哉
(世界思想社)

ブタもクジラも食べるのに、イヌやネコはなぜ食べないのか?
宮澤賢治「よだかの星」、食育の実験授業「豚のPちゃん」、反捕鯨映画『ザ・コーヴ』……食をめぐる身近な素材を、フランス現代哲学と日本哲学のマリアージュで独創的に調理し、濃厚な味わいに仕上げたエッセイ。

引用:カバー紹介文より

第四章『食べることは教えられるのか——「豚のPちゃん」から学ぶこと』での「豚のPちゃんと32人の小学生」(ミネルヴァ書房)の話は考えさせられます。



昆虫食と文明

昆虫の新たな役割を考える
デイビッド・ウォルトナー=テーブズ
(築地書館)

昆虫食は昆虫食なりの問題があることを初めて知りました。


快感回路

なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか
デイヴィッド・J・リンデン
(河出書房新社)

第3章「もっと食べたい」が面白いです。

ご自分が、ファミレス・チェーンやお菓子メーカーのテスト・キッチンのシェフだとしたらどうだろう。
客がよろこんで食べ、リピーターになってくれるようなメニューを考えなければならない。
どうするだろうか。
どうすれば満腹感や、過食を防ぐべく働く体重信号を抑えるほど激しく快感回路を活性化させられるだろうか。
基本的戦略は、人類(の祖先たち)が進化の過程で通り抜けてきた食物風景と、現在の食物風景とのギャップを利用することだ。

引用:第3章「もっと食べたい」より


おいしいハンバーガーのこわい話

エリック・シュローサー
チャールズ・ウィルソン
(草思社)

ハンバーガーはおいしいです。
そのおいしさの裏にはどういうからくりがあるのかをたくさんの実例を挙げて解説しています。

ファストフードがどこから来て、だれが作り、何が入っていて、それを食べるとどうなるのか。
(中略)
食べたものは体のなかに入って、その人の一部になる。
背が高いか低いか、体が強いか弱いか、細いか太いかを決める一因となる。
健康で長生きするか、若死にするかを決める一因となる。
食べものは人の根本にかかわる重要なものなのだ。
そんなに重要なのに、なぜ、ほとんどの人はファストフードについて深く考えないし、よく知らないのだろう?

引用:「はじめに」より


炭水化物が人類を滅ぼす

糖質制限からみた生命の科学
夏井睦
(光文社新書)

科学の読み物としてもめちゃくちゃ面白いです。

世の中には食べることが何より楽しみ、人生の喜び、という人がいるが、一方で、食べることを楽しみとしない人生も可能なのだ。
糖質制限に目覚めなければ、このような「食事に執着しない人生がある」なんて絶対に気がつかなかったことだ。
美味なるものを追い求める生き方をする人を否定しようとは思わない。
しかし、美味を追求していくと、そこには必ず、食材や調味料として糖質が待ち受けている。
そして糖質摂取を続けていれば必ず肥満になり、その先には糖尿病が待っている。
もちろん、美味なるものを食べて、糖尿病やアルツハイマーになるなら本望だ、という生き方もあると思うが。

引用:Ⅴ 糖質制限すると見えてくるものより


炭水化物が人類を滅ぼす 最終解答編

植物 vs. ヒトの全人類史
夏井睦
(光文社新書)

和食とは「多くの糖質を食べさせる食事」であり、食後に血糖の急上昇をきたして大量のインスリンを分泌させるという意味で、「時代遅れの不健康な食事」なのである。

引用:Ⅲ 前作での未解決問題に決着をつけようより
 

一度しか歯が生え替わらない哺乳類にとって、「歯牙脱落原因物質」である糖質(ショ糖、麦芽糖、ブドウ糖、加熱デンプン)は、絶対に口にしてはいけない物質なのである。
このことからも、糖質はヒト本来の食物ではないことは明らかだ。

引用:VI 穀物摂取によるヒトの体の変化より


果糖中毒

19億人が太り過ぎの世界はどのように生まれたのか?
ロバート・H・ラスティグ
(ダイヤモンド社)

ファストフードの定義は何かご存じだろうか。
それは、「食物繊維抜きの食品」である。
なぜなら、食物繊維が含まれた食品を冷凍すると質感が変化してしまうからだ。
繊維のない食品なら、冷凍してから世界中に輸送して、すぐに調理することができる。

市販のクッキーについて考えてみよう。
この製品は、30%が小麦、30%が脂肪、30%が糖分、そして約6%がタンパク質だ。
いわば、脂肪と炭水化物を1つの食品に詰め込んだ究極の例だ。
そして、甘さは脂肪と合わさると顕著性(魅力)が増す。
クッキー1個なら、ちょっとした楽しみになる。
だが、おそらく1個ではすまないだろう。
糖分には依存性があり、糖分に脂肪が加わると、よけいやめられなくなるからだ。
私たちのカロリー過剰摂取(糖分の藩加が招く過剰接取)がそれを証明している。

引用:第16章 食品業界が「毒」を使いたがる理由より


甘いもの中毒

私たちを蝕む「マイルドドラッグ」の正体
宗田哲男
(朝日新書)

お米・小麦といった世界中でヒトの主食とされてきた「炭水化物」(穀類)こそ、糖質過多によって血糖値を上げて深刻な現代病である肥満や糖尿病を引き起こす、いわば元凶なのです。

ヒトは、
①食品に含まれる脂質やタンパク質で太るのではなく、あくまでも炭水化物に含まれている糖質で太るのです。
すなわち、
②食べ過ぎで太るのではなく、糖質の摂り過ぎ=糖質過多で太るのです。

すべての引用:第1章 ヒトは、なぜ「甘いもの中毒」になるのか?より


ビーガンという生き方

マーク・ホーソーン
(緑風出版)

グイグイ引き込まれました。

「VEGAN=ビーガン」という言葉は、完全菜食主義などと訳され、豆腐と玄米を好む極端な食事法、女性に人気の健康志向の生活スタイルとみられてきた。
しかしそれは薄っぺらな理解といえる。
本書はこうした誤解を丁寧に解き、ビーガンとは、動物搾取の産物を可能な限り一掃しようとする考え方で、具体的には、肉・乳・卵・蜂蜜などを避け、衣では絹・革・毛皮・羊毛などを避け、さらに動物実験を経た化粧品を避け、こうした動物搾取を推進する企業や研究に反対する社会運動であることを解説する。
動物搾取、人種差別、性差別、階級差別に反対する、脱搾取=ビーガニズムの入門書。

引用:カバー紹介文より

 

動物の権利運動の核心にある戸惑いは、次の問いにまとめられるだろう――なぜ人々は一部の動物を愛しながら、他の動物を食べる、あるいは他の仕方で虐げるのか?

私たちの社会はなぜ一部の動物を愛しながら他を食べるのか、という問いの答は、思うに、大半の人々が普段、肉を動物に由来するものと考えないこと、少なくとも意識してそう考えはしないことにあるのではないか。
かれらにとって、肉は食料品店で買ったり外食店で頼んだりするものでしかなく、清浄で、動物に死をもたらす暴力とは関係ない。
もしかれらが豚と犬を同列に並べたら、自分が許せなくなるのではないかと思う。

引用:第1章 動物の権利より
 

例えば、肉を食べる環境保護論者だが、通勤には自転車を使い、水の携帯にはステンレスの水筒を使い、肉食は月に一度チーズバーガーを食べるだけという人と、厳格な菜食者だが移動にはガソリンを浪費するSUVを使い、年に何度も海外へ渡り、給水のために延々と使い捨てペットボトルを無駄にする人とを比べるとしたら、どちらの環境影響が少ないだろうか。
私は、一見したところの欠点をもとに他の人々を批判する結果を考えることが大事だと思う。
自分たちの考える不満点を挙げて環境運動の面目をつぶす時、私たちは連帯を築いていると、果たしていえるだろうか。

世界の環境破壊は、工場式畜産の急拡大、あるいはパーム林開発や畜産飼料の栽培に向けた皆伐など、ほとんどが食料生産によるものだが、他の産業も無関係ではない。
化学物質の製造、鉱物や天然資源の採掘、木材伐採、発電は、いずれも環境と地下水と土壌を汚染し、世界中の村や町を毒まみれにする。
さらに問題なのは、そうした汚染業者の多くが多国籍企業の所有・運営下にあることで、当の多国籍企業は納税を免れ、地域の政府に影響力を振るい、貴重な土地や淡水を使うなど、特別な恩恵の数々に浴している。

引用:第4章 環境より
 

人が不健全で利己的な行動を正当化するのは様々な理由による。
食のことになると、多くの人が認知的不協和に悩むのは疑えない。
人間は怠惰なことでも悪名高く、習慣になった行動は容易には変わらない。
無理のないところに留まっていれば安心でき、人生は充分つらいと思って単に真実から目を背ける方が楽に思える。

「残酷性ゼロ(CRUELTY FREE)」という言葉には、単に動物成分入りの商品を避ける以上の意味があることを認められるだろうか。
消費者としての選択をさらに意識して、果物、野菜、豆類、穀類の播種・栽培・収穫に携わる労働者たちや、パーム林となった土地に暮らす先住民の人々、カカオ生産の労働を強いられる子供たちにまで考えをおよぼすよう努められるだろうか。

引用:第5章 思いやりある世界より
 

動物を食べるのは個人の選択ではないか。
動物を食べるのは個人の選択だ、という言い分はよく使われるが、そこには犠牲者がいないという前提がある。
しかし「個人の選択」は決定を下す者だけに関わるのに対し、動物を食べる選択は意思決定者をはるかに超える範囲まで影響をおよぼす。
発言権のない動物たちを左右するのに加え、大規模な環境破壊に加担することにもなる。
この言い訳は暗に、肉食者を放っておいてくれと脱搾取派に頼んでいる。
実際、肉食者はこう付け加えることもある。
「あなたの食の選択は尊重するから、私のそれも尊重してほしい」。
が、他者を害する選択を尊重する義理はない。
大半の人は、自分が何を食べるかは個人の問題だと考えるが、他者を食べる行為は明らかに個人の領域を超える。
読みたい本を選ぶのは個人の選択である。
しかし動物を消費して畜産業を応援する決定はあらゆる者に影響する。
好きなものは何でも食べるという「権利」は、他者の生命が問題になったら留保される。

引用:第6章 Q&Aより


肉食の哲学

ドミニク・レステル
(左右社)

たいていのベジタリアンは、食われる植物は苦しまず、また自身の利益不利益というものもないと無邪気に信じているが、その思い込みは考えているほど合理的でも経験主義的でもない。

私は他のすべての動物と同じように、生きるために殺す。
ベジタリアンはお気楽にも逆の幻想を抱く。
彼らは世界においてヒトが例外となり、他の生物を殺すことも害することもなく完全に自給自足的な方法で生きられると信じたいのだ。
この一見思いやりある考えは、生物のあらゆる力学において本来死や苦しみが持つ役割を拒んでいるわけで、まったく非現実的なうえ、かなり病んでいる。

私は肉を食うために殺すことには否定的だが、この行動が倫理的に咎められる反面、相当数の動物が今も捕食で生きており、われわれ自身もこうした狩猟のおかげで生き延びてきた面があることは確信している。
これほど広くおこなわれ、種の間の力学において大きな役割を果たしてきた行為を倫理に反するなどと考えることができるのだろうか?

すべての引用:第3章 一皿目のメインディッシュより