【ケンタロウさん】隠れるくらいなら、ファンではない。

「私は実はケンタロウさんの隠れファン」とブログに書いている人がいました。

なぜ隠さないといけないのかよくわかりません。
ケンタロウさんのファンでいることが、そんなに後ろめたいことなのかなと思ってしまいます。
ファンでいたことで何か不都合でもあったのでしょうか。

隠れファンはファンではない

そもそも隠れているくらいですから、それほどケンタロウさんのことは好きではありません。
土の中の種が発芽しても、芽が土の中に隠れているので外からは見えません。
見えないということは、発芽しているのに種のままと同じ状態です。
せっかくファンと言っているのにそれを隠すのですから、結果的に好きじゃないということになってしまいます。

「実は隠れファンなんです」と言われた側も、キョトンとしてしまいます。
就職の面接で「実は御社の隠れファンなんです」と言ってもまず通りません。
そんな人を採用したいと思う会社はありません。
「隠れファンです」と言うことで思いが伝わらないばかりか、チャンスまでなくしてしまっているのです。
これは実にもったいないです。

隠してもバレてしまうのが、本当の好き

隠しても隠してもどうやっても溢れてしまうのが本当の好きであり、愛です。
愛をケチってもいいことはありません。
湯量が少ない温泉に入りたくないのと同じです。
いくら源泉掛け流しでも、半身浴しかできないような湯量だとケチ臭いだけです。
愛を出し惜しみする人は、ケチ臭い人です。
ケチ臭い人の口ぐせは「どうせ私なんか…」です。
そういう人はますます誰からも相手にしてもらえなくなって、どんどん卑屈になっていくのが典型的なパターンです。

「嫌いではないんだけど、それほど好きでもない」という中途半端な人より、好きで好きでたまらないオーラが出まくってる人の方が振り切れていて気持ちがいいです。
「隠れファンです」と言う裏には、何か別の物も隠してるんじゃないかと勘ぐってしまします。
好きな気持ちを隠してもいいことは何もないのです。

今できることモロ出しダダ漏れな人に、なろう。