【ケンタロウさん】「行き当たりばったり」は、「成り行き力」だ。

私は、ケンタロウさんが料理家になった経緯の話が好きです。
読むたびに、そこにドラマを感じています。

ケンタロウさんが料理家になったきっかけを振り返る時によく言うのが、「行き当たりばったり」です。

朝日新聞

先日紹介した朝日新聞でのインタビューでは、「大学を辞めて、行き当たりばったりで料理家になった」と言ってます。

 

新日鉄住金

新日鉄住金広報誌でのインタビューでは、「イラストレーターになるつもりで大学を中退したが、仕事もなく、カツ代事務所にアシスタントとして入った」ことを、「行き当たりばったりだった」と表現しています。

 

たべる、たいせつブック

「たべる、たいせつブック」でのカツ代さんとの対談でも、料理家になった経緯を振り返って、「行き当たりばったりだった」と言っています。

 

行き当たりばったり

「行き当たりばったり」とは、その場その場の成り行きに身を任せることです。

 


 
ケンタロウさんの考える「行き当たりばったり」とはどういうもので、どれくらい「行き当たりばったり」だったかはわかりませんが、結果的には大正解です。
やりたかったことでもなく、遠回りだったかもしれませんが、ケンタロウさんの「味」になっています。

ケンタロウさんの当初の目的は、イラストレーターになることでした。
もし、頑なにイラストレーターにこだわっていたら、今のケンタロウさんは存在していません。
カツ代事務所に入ったのは、料理のためではなく、カツ代さんに会いに来る編集者に自分の絵を見てもらうためです。
最初はイラストがメインでしたが、徐々に料理の仕事へとシフトしていくのです。
「いや、僕は料理をしたいんじゃなくて、イラストが描きたいんだ」と言っていたら、チャンスを潰してしまうことになります。
どこでどう転ぶかわからないチャンスを生かすには、身軽さが求められます。
「こうでなければならない」より、「これもアリだよね」のようなフットワークが軽い方がいいのです。

成り行き力を生かす

ケンタロウさんは、「これからは料理でやっていこうと決意したことはない」と言ってます。

出典:新潮45(新潮社)2010年9月号

 

ここにも成り行き力が生かされています。
「俺は料理家だ」と宣言することで、気合いが入ります。
そうすると、余計なところにも力が入ってしまって、力みが生まれます。
余裕がなくなって、ガツガツしてしまうのです。
調子がいい時はイケイケですが、勢いが落ちてくると、途端に悲愴感が漂うようになります。

ケンタロウさんは「行き当たりばったり」をいい意味では使ってないようですが、もし計画通りの人生を目指していたら、振り幅の狭いケンタロウさんになっていたかもしれません。
「行き当たりばったり」だから、よかったのです。
「行き当たりばったり」で歩んでくれたからこそ、私たちもケンタロウさんに出会えたのです。
「行き当たりばったり」は、無駄な遠回りではないのです。
 

今できること成り行きの出会いを、楽しもう。