【ケンタロウさん】本格的でおいしいけど、作る人以外飽きていた父のポトフ/カツ代さんのレシピあり

「小林カツ代の大根・かぶ大好き」(講談社)に「ミスター小林のポトフ」があります。


父とポトフ

ミスター小林のポトフ

ミスター小林とは、カツ代さんの夫のことです。

わが夫は、なんでもポトフにしてしまう人。
スパイス使いがなんともいえず上手で、一度食べたら誰もがファンになってしまうほど。

ここだけ読むと、素敵なエピソードに思えますが、実はいいことばかりでもないのです。

全然うれしくなかった

親父には得意料理があって、それがポトフ。
海外で覚えた味を再現しようと、ハーブなんかを使って本格的に作るんだけど、子供には全然うれしくない(笑)。
ふにゃけた味だな、って思ってた

引用:晩ごはん、これ作ろう ケンタロウ100レシピ
(集英社)


まったくうれしくなかった

ポトフという言葉は親父から習った

ちびっこの頃、たまーに、ごくたまーに、親父がごはんを作ってくれた。
親父は味にはうるさい人で、仕事がら海外出張も多くて、本場の本物の味も知っていた。
だからふだんカツ代が使わないような素材やハーブを使ったりしていた。
でも、作るものはいっつも同じ。ポトフ。
肉と野菜をコトコトことこと煮込んだ、透明なスープの塩味の、ポトフ。
ポトフ。素材のダシがあくまでも澄んだスープにすっかり溶けこんで、そこにハーブが少おし香る。
シンプルだけれども奥深い料理だ。と、今は思う。

でもね、父さん、子供はポトフなんてせんぜんまったくうれしくありません。
そんな地味な料理、子供が喜ぶわけがないでしょう。
父さん、たまには違うものが食べたいです。
子供を無視して自分のためだけに作っていたというわけではないとは思う。
きっとほんとうの本物の味というものを教えてやろうとも思っていただろう。
でも、やっぱり、「わーお、今日はポトフ?」とは言えなかったなあ。

小林家では親父が作るといえばポトフ。
ポトフという言葉は親父から習った。

引用ページ

第14回 ポトフ|ケンタロウんちの食卓

2004年12月22日


10回中10回ともポトフ

ポトフという言葉を知ったのは子供の頃で、料理を生業としている母親からではなく、会社員の父親からだった。
うちは基本的には毎食母親が作っていたが、母親の帰りが遅くなる時に、たまに親父が作っていた。
そういう時に、決まって親父が作るのがポトフだった。

どのぐらい「決まって」かというと、10回夕食を作ってくれたら10回ともポトフ、というぐらい、決まってポトフだった。
父親は洋風の食事が好きで、ヨーロッパへの出張が多かったことで本場の味もよく知っていた。
丸鶏やハーブなどを駆使した、実に本格的なポトフだった。

しかし、でも、子供にとってはポトフは果てしなく地味な料理で、キャッチーなところがどこにもない。
正直に言って魅力のないものだった。
親父が台所に立つと、毎回一応「今日は何?」と聞いてみる。
答えは当然「ポトフだよ」。
そこで子供たちは「ええー、また?」と抗議の声を上げるのだが、親父は気にするそぶりすら見せず、ポトフは食卓にのぼるのだった。

あんなに地味だと思った料理も、今ではしみじみうまいと感じるようになった。
親父がうれしそうに作っていたのが、今はよくわかる。

引用:ソーセージと野菜のポトフ|ケンタロウのひと皿勝負

おやじの影響を受けている

僕の料理はおやじの影響も受けています。
特に鶏のスープで野菜を煮込むポトフ。
僕のポトフの原体験は、幼い頃におやじが作ってくれたポトフなんです。
おやじのポトフは、鶏を一羽煮込んだり、ハーブを入れたりと本格的でした。
当時は地味な料理だと内心迷惑に思っていましたが、今もあのやさしい味はよく覚えています。
僕にとって大切な料理の一つです。

引用:朝日新聞「おやじのせなか」
2009年12月6日(日)掲載

飽きるほどおいしいポトフ

父が作るポトフにいい気がしなかったのはケンタロウさんだけではありません。
実はカツ代さんも、夫が作るポトフに飽きていたのです。

「小林カツ代の手料理上手の暮らしメモ」(知的生きかた文庫)に、「あきるほどおいしいポトフ」があります。

こう始まります。

うちの夫はポトフ狂

・食べるのも作るのも大好き
・最も得意な料理
・いつも必ず鶏一羽を使う
・すごくおいしい
・夫が作る料理は決まってポトフ
・いくらおいしくても飽きる
・夫はポトフ人間なので飽きない

ラジオの人生相談に出てきそうな話ですが、いかに夫がポトフ大好きで、家族がそれに巻き込まれている様子が目に浮かびます。

この本にはポトフ狂が作るレシピも載ってますので、ぜひ作ってみてください。


カツ代さんのポトフ

【12レシピ】小林カツ代さんのポトフメニュー