【ケンタロウさん】サインには、その瞬間の思いが詰まっている。

メリカリで、ケンタロウ本の出品数を調べてみました。


 


 
数えている時に、ケンタロウさんのサインが入ったグッズも何点か見かけました。
サイン本は、新刊発売の販促などでよくありますが、ある人が出品していたのはエプロンでした。
ケンタロウさん直筆のサインが入っていて、エプロンとは思えないような値段が付いています。
出品日は不明ですが、これを書いている時点ではまだ売れていません。

出品者のコメントには、こうあります。

雑誌の企画でケンタロウさんの料理教室に行き、イベント終了時にケンタロウさんにサインをもらった

サインと値段

とかく目が行きがちなのが、
・サインが入っている
・値段
です。

この2つは、特に「いい・悪い」やモラルの話になりがちです。
規約に反していなければ、「いい・悪い」はありません。
マナーやモラルも、言い出したらキリがありません。
あくまでも売り手と買い手の話です。
何を出品して、どれくらいの値段を付けるかも自由です。
高いから価値があって、安いから価値がないとは言えません。
高いか安いかは、買う人が決めることです。

出品者

ここで、出品者の気持ちになって考えてみます。

この出品者は、雑誌が企画したイベントに自ら応募したのでしょう。
それに当選できたので、料理教室に行くことになります。
当日、会場から出てくるケンタロウさんを待って、そこでサインをもらったのです。
私ならもううれし過ぎて、足がガクガク震えています。

コメントには

大事に置いていました

とあります。
大事にしていたのですから、相当なファンです。

ところが、そのエプロンを売りに出すことを考えます。
お金が必要な何かがあったからです。
単純にそのエプロンが不要になったのならゴミとして捨てています。
出品者は、これはお金になると判断したのです。
1000円や5000円ならまだしも、結構な値段だからです。
その値段に「欲」が見え隠れします。
明らかに「ケンタロウ」というネームバリューを利用しています。

ケンタロウさんの気持ち

次に、ケンタロウさんの気持ちになってみます。

いくら自分がサインした本やグッズでも、人の手に渡ってしまったら、それをコントロールすることはできません。
何をどうするかは、その人の自由です。
それは十分にわかっていますし、これまでも何度も経験しています。
サインしたグッズは売らないでと願っても、止めることはできません。
サインした時点で、その人のモノです。

サインの意味

見る人が変われば、サインの意味合いも変わります。
憧れの人の貴重なサインと思う人もいれば、マジックで書かれた手書きの文字と思う人もいます。
落書きだと思う人もいるでしょう。
それは思いの差です。
熱量と言ってもいいです。

この出品者は、いくつもの行動を起こした結果、ケンタロウさんからサインをもらっています。
雑誌を買い、イベントに応募し、当選し、その日の都合をやりくりし、エプロンを用意し、体調と身なりを整え、会場に出向き、料理を習い、ケンタロウさんを出待ちする。
サイン1つのために、これだけの労力がかかっているのです。
この出品者にとっては単なるサインではないはずです。
新刊販促用のサイン本は、買ってくれる誰かのためのサインですが、そのエプロンのサインは出品者のために書いたのです。
同じサインでも、意味はまったく違います。
もっと言えば、これまでの経緯、その日、その場所の空気までもサインに込めているのです。
唯一無二のサインです。

ケンタロウさんは、その出品者のためにサインしました。
しかも、出品者はわざわざサインをもらいに行ったのです。
それを出品するのは、自分のフルマラソンの完走証明書を売りに出すようなものです。
確かにサインはサインですが、そこに込められた思いは、その出品者にしかわかりません。
「今日は来てくれてありがとう」という思いでサインをしてくれたケンタロウさんの気持ちがわかるのも、この出品者だけです。
この出品者が料理教室に行き、この出品者のためにケンタロウさんはサインをしたのです。
それでもエプロンを出品したのは、その思いを上回る事情があったからで、それに見合う値段を付けたのです。

そのエプロンは、まだ出品中のままです。
どちらの思いも、宙ぶらりんです。