【ケンタロウさん】「おいしい」のひと言のために、今日も作る。

せっかく誰かに料理を作るなら、「おいしい」と言ってもらいたいです。

料理を作る人なら、誰もがそう思います。
誰かのためではなくて、自分のために作る時でも、自分に「おいしい」と言ってもらうために作ります。
「自分が食べるんだからどうでもいい」と言いながらも、目は真剣です。

「ごくらくの食卓」(主婦と生活社)の「おいしいっ」は、「おいしいっ」と言われたい話です。

おいしいっ

おいしいものを作ったら誰かに食べさせたい。
「おいしいっ」と言われたい。
「おいしい」と言われるのはクセになる。
どんなに打算的と言われようとも、やっぱり「おいしいっ」と言わせるために作るのだ。
料理をする上での最高の快楽がそこにあると言ってもいい。
だから、おいしいものを作ったら誰かに食べさせたい。
だから彼女を呼んで料理する。
「すっごくおいしかった、ごちそうさま」と言って帰る彼女を、せいいっぱいクールなニヤニヤ顔で見送る。

(98ページより引用)

料理はだれかのために作るものだ

「ケンタロウの基本のウチめし」(オレンジページ)には、こうあります。

料理を作る時はココロのどこかで、いやココロのすべてで、だれかを喜ばそうと思って作っている。
ひとりの時だって当然、自分を喜ばすために作る。
量だって味だって自分が喜ぶように、自分のツボをつくいかす構成でおとどけする。
自分を喜ばすことができないのに、人を喜ばすことができるだなんて、そんなわけはないから。

自分ひとりだって、思わずとびきりいい顔してしまうような、そんなものが作りたい。
料理はだれかのために作るものだ。
食べた人が「おいしい」と笑ってくれて、作った自分もうれしくなる。
ごくごく単純。

 

Casual Dining

IKEAのプロモーション動画「Casual Dining」は、まさにケンタロウさんの言う「おいしいっ」です。

 
「うん、おいしい」だけしか言いません。
それでもちゃんと伝わります。
食べっぷりで「きっとおいしいんだろうな」というのはわかります。
でも、やっぱり「おいしい」を言ってほしいです。
「おいしい」が聞きたいのです。
「これ、おいしい」が、作ってくれた人への労いの言葉になり、料理のモチベーションになるのです。

おいしい顔

写真なのに、「おいしい」と言ってるのがわかります。