【ケンタロウさん】「おいしい」のひと言のために、今日も作る。
- 2019.10.07
- ケンタロウさん
- ケンタロウ本「ごくらくの食卓」
せっかく誰かに料理を作るなら、「おいしい」と言ってもらいたいです。
料理を作る人なら、誰もがそう思います。
誰かのためではなくて、自分のために作る時でも、自分に「おいしい」と言ってもらうために作ります。
「自分が食べるんだからどうでもいい」と言いながらも、目は真剣です。
「ごくらくの食卓」(主婦と生活社)の「おいしいっ」は、「おいしいっ」と言われたい話です。
おいしいっ
おいしいものを作ったら誰かに食べさせたい。
「おいしいっ」と言われたい。
「おいしい」と言われるのはクセになる。
どんなに打算的と言われようとも、やっぱり「おいしいっ」と言わせるために作るのだ。
料理をする上での最高の快楽がそこにあると言ってもいい。
だから、おいしいものを作ったら誰かに食べさせたい。
だから彼女を呼んで料理する。
「すっごくおいしかった、ごちそうさま」と言って帰る彼女を、せいいっぱいクールなニヤニヤ顔で見送る。
(98ページより引用)
料理はだれかのために作るものだ
「ケンタロウの基本のウチめし」(オレンジページ)には、こうあります。
料理を作る時はココロのどこかで、いやココロのすべてで、だれかを喜ばそうと思って作っている。
ひとりの時だって当然、自分を喜ばすために作る。
量だって味だって自分が喜ぶように、自分のツボをつくいかす構成でおとどけする。
自分を喜ばすことができないのに、人を喜ばすことができるだなんて、そんなわけはないから。自分ひとりだって、思わずとびきりいい顔してしまうような、そんなものが作りたい。
料理はだれかのために作るものだ。
食べた人が「おいしい」と笑ってくれて、作った自分もうれしくなる。
ごくごく単純。
Casual Dining
IKEAのプロモーション動画「Casual Dining」は、まさにケンタロウさんの言う「おいしいっ」です。
「うん、おいしい」だけしか言いません。
それでもちゃんと伝わります。
食べっぷりで「きっとおいしいんだろうな」というのはわかります。
でも、やっぱり「おいしい」を言ってほしいです。
「おいしい」が聞きたいのです。
「これ、おいしい」が、作ってくれた人への労いの言葉になり、料理のモチベーションになるのです。
おいしい顔
写真なのに、「おいしい」と言ってるのがわかります。