【ケンタロウさん】味を知っていなければ、「おいしい」も「好き」もわからない。

ケンタロウさんには、子供の頃は好きではなかったけど、大人になってからよく食べるようになったものがいくつもあります。

子供の頃はあまり好きではなかった

ケンタロウさんの「子供の頃はあまり好きではなかった食べ物」を紹介します。

料理と年齢

年とともにおいしいと思えるものがふえていく。
しみじみとした味わいの煮ものや、淡い味の野菜のおかずや、ごくごくシンプルな味つけのものや、魚の干もの、だしのきいた汁もの、すべて年とともに心からおいしいと思うようになった。
それはよく言われる「最近油っこいものはどうも」という感じともちょっと違う。
たしかに、ものすごく脂ぎった肉を際限なく食べ続けられる時代は終わった。
それでも肉は今でもさいこーだ。
だから、嗜好が変わったというわけではなくて、どんどんいろんな味のよさがわかって、おいしいものがどんどんふえてゆく。
大人になるのは素晴らしいと思える。
子どものころは、干ものなんてどうだっていいと思ってたのに、今は干ものを選ぶ楽しさも、焼く楽しさも、食べるうれしさもある。
いろんな味が細かくわかるようになって、それぞれによさがあるとわかるようになったことも、大人になった気分でうれしい。

引用:ケンタロウのすごくシンプルなごはん(学研)
43ページより


春菊

子供の頃、春菊があまり好きじゃなかった。
単純に苦いからと、あの独特の風味が少し苦手だった。
そういう人は少なくないだろうし、もちろん逆に昔から春菊が大好きだった人もいるだろう。
ある時から急に好きになった。
苦手じゃなくなった、というのではなくて、より積極的に、好きになった。
何かのきっかけという記憶はないから、ただ大人になって好みが変わったということなのかな。
苦さのうまさにもぐっと理解が深まって、より幅広い風味をおいしいと感じられるようになった、ということなのだろうか。

とにかく春菊は好きな野菜の一つになった。
そう考えると、頑に小さい頃から好きな味がある一方で、好みが変わっていく部分もけっこうあるんだなと思う。
子供の頃に苦手だったものは、ことごとく苦手じゃなくなったし、好きにさえなった。
最近どうも脂っこいものはちょっとね…ということではなくて、脂っこいものも相変わらずウエルカムだけど、滋味深いものもまたしみじみうまい、甘いのもうまいし苦いのもうまい。
そうやっておいしいものが増えていくのはうれしいことだよな。

引用:春菊の中華和え麺|ケンタロウのひと皿勝負より

炊き込みごはん

炊き込みごはんは大人になってから好きになったもののひとつです。
子供のころも決して嫌いというわけではなかったけれど、なんというか、炊き込みごはんを前にするとどうしていいのかわからないところがあった。
炊き込みごはんとおかず、汁物、全部味がついてるからだ。
おかずを食べて味のない白いごはんを食べて、汁で流す、そういう一連の流れが食事だと思っていたから、味のしっかりしたおかず、味のついたごはん、汁物、って、いったい何で何を受け止めていいのか分からなかった。

大人になって、主食と副菜の相性はもちろん考えるとしても、別に必ず何かで何かを受け止めなくとも、おかずを味わって、ごはんを味わって、汁物を味わうという食事の楽しみ方を知って、炊き込みごはんを前にどうしたらいいのかわからなくなることはなくなった。

引用ページ:にんじん炊き込みごはん|ケンタロウのひと皿勝負

せり・煮魚

子供の頃はそうでもなかったけど、大人になってから急速に急激に好きになったものは結構ある。
セリとかレンコンなどの素材、煮魚などの料理、やっぱり当然、渋いものが多い。
まあ年取ったと言えばそれまでだ。

引用ページ:肉豆腐|ケンタロウのひと皿勝負

長芋

子供の頃、長芋は嫌いだった。
ヌルヌルのあの感じも、ショリショリの歯ざわりも、どっちも歓迎できなかった。
すりおろしたとろろも、千切りのサラダも、どっちも笑顔では食べられなかった。
しかし、やっぱり、大人になったら好きになった。
大人になるのは最高だ。
特に何かきっかけがあったというわけでもないのに、ヌルヌルもショリショリもうまいよなーと思うようになった。
さらには、火を通した時のホクッとした感じがまたたまんねえということも知った。
焼き目の香ばしさも最高だ。
大人になるだけでおいしいと思えるものが勝手に増えていく。

引用ページ:長芋と鶏肉のキムチ炒め|ケンタロウのひと皿勝負

刺身

おれは子供の頃は刺身で白いごはんが食べられませんでした。
なんか冷たくて生のものでアツアツごはんを食べることにどーうしても違和感があって、それは子供の自分にはなかなか乗り越えられない壁でした。
刺身が盛り合わされた皿を見て、親父が「おー、今日は刺身か!」と嬉しそうに言うのを、複雑な思いで聞いていた。
でもある時から突然、おれも「おー!」と言うようになった。
年取ったってだけのことなのかもしれないけれど、そう言えるようになったことはけっこううれしい。

引用ページ:アジの刺身サラダ|ケンタロウのひと皿勝負

豆腐

学生の頃バイトしていた厨房のシェフが、「俺は食べ物の中で豆腐がいちばん好きだ」と言った。
その店は和食の店ではなくて、しゃれた生パスタなども扱う完全に洋風の店だったのだが、スタッフのためのまかないは毎回洋風では飽きてしまうので、和食の日もあった。

ある日、まかない用に仕入れた豆腐をしげしげと眺めながら、シェフは言い放った。
当時18~19の小僧であった俺は、豆腐のことなどまるで重視していなかった。
嫌いというほどに意識することさえなく、あれば食べるという程度のものでしかなかった。
それを好きな食べ物の筆頭に挙げるなんて、かなりびっくりした。
え? シェフ? 豆腐、ですか?
豆腐のどの辺にそこまで魂、揺さぶるものがあるのかまったく理解できなかった。

しかし年を重ねて、やっぱり、わかってしまった。
豆腐っておいしい。
そのままで食べるのはもちろん、煮たやつも、炒めたやつも、おいしい。
年を食ったと言えばそれまでだけど、豆腐のうまさがわかってうれしい。
まあしかし、とはいえ、一番、ではないなあ。

引用ページ:炒り豆腐|ケンタロウのひと皿勝負

里芋

里芋は大人の食材だと思う。
子供の頃は、里芋は嫌いというほどではないにしても、なんだかちょっと見るからに地味というか、キャッチーさがないというか、じゃがいもの方が圧倒的に好きだった。
父親が里芋が大好きだったので、食卓に登場する機会は多かったが、その度にこれのどこにそんなに魅力を感じるんだろうと不思議に思っていた。
しかし、やっぱり、好きになった。
おっさんになったといえばそれまでかもしれない。
子供に里芋の良さがわからないわけじゃないし、里芋の良さがわかるからこそ大人というわけでもないが、こと自分にとっては父親の好物という点だけ考えても、里芋を好きになるのは、父親側に仲間入りしたような、そんな気分だ。

引用:鶏と里芋のソテー|ケンタロウのひと皿勝負より

かぶ

ある時から急に、かぶが好きになった。
それまではなんとなく、火を通すとグズグズになっちゃうし、生でもやわらかくて独特の風味があるし、どちらかというとしゃっきり大根の方が好きだなあ、と思っていた。
それがなんでか急に好きなった。
何かがきっかけ、というわけでもない。
大人になって味覚が変わったのかなあ。

引用:かぶとぶりの煮付け|ケンタロウのひと皿勝負より

蓮根

ある時から突然ものすごくレンコンが好きになった。
完全に大人になってからだ。
子供の頃は好きではなかった、というよりも、どっちかに無理に分けるとしたら嫌いな方に入る野菜だった。
ショリショリした食感も、土っぽい風味も、好きになれなかった。
しかし、何がきっかけというわけでもなく、急に好きになった。
今では好きな野菜ベスト10に必ず入る、そのぐらい好きだ。

引用ページ:レンコンと豚のオイスター炒め|ケンタロウのひと皿勝負

火を通した果物

子供のころは火を通した果物は好きじゃなかった。
今回の焼きりんごもしかり、焼きバナナとか。
どんな時も、果物は冷たくて瑞々しいものであってほしいと思っていた。
デザートでもいやだったぐらいだから、酢豚の中のパイナップルとか、ハンバーグやピザの上のパイナップルなんてもってのほか。
わざわざ炒めたりソテーしたりしないで、缶詰から出したままのやつを後で出してくれたらいいのにと心の底から思っていた。
鴨のオレンジソースになるといよいよもって意味がわからなくて、小学生のころに初めて見た時には、本当にこれは誰かの悪ノリなのだろうかと思った。

しかし大人になるにつれて、火を通した果物のうまさがわかるようになった。
加熱することで甘みや酸味が際立って、食感が変わって、独特のうまさが生まれると知ってしまった。
熱々のりんごとアイスクリームという温度差のうまさもあるよなあ。
焼き目の香ばしさにクリームが混ざるあのかんじ。

子供の時はわからなくても、大人になるとわかるおいしさがある。
自分にとって加熱した果物はまさにそれだ。
年も取ってみるもんだよな。

引用ページ:焼きりんご|ケンタロウのひと皿勝負

玉ねぎ

こどものころ、嫌いだったのは玉ねぎ。
しかし、うちではハンバーグにもカレーにもポテトサラダにも、あたりまえの顔をして玉ねぎが入っていた
(そのほうがおいしいんだから、あたりまえだ)。
残す、という選択肢もうちではありえないことだった。
なので残さず食べていたら、いつの間にか、ほかの食べものと変わりなく玉ねぎを食べている自分がいた。

引用:ケンタロウのいえごはん こどもも おとなも 好きなものばっか。(講談社)
「オニオンリング」より


母カツ代さんの考え

ケンタロウさんは「あまり好きじゃなかった」「嫌いだった」と言っています。
「これは好きじゃないな」と思うのは、食べているということです。
ただの食わず嫌いではありません。
食べたからこそその味が好きか嫌いかがわかるのです。
ここがポイントです。

では、なぜ母のカツ代さんは、子供の嫌いなものも食卓に出したのでしょうか。

春の野菜

春の野菜は滋味深い味わい。
これ、けっして子どもの好きな味ではないことは確かです。
でもね、こういう料理って、食卓にのせていくことが大事。
大人になるにしたがって、大好きな味に変わるときがきっときます。
好きなものが、年を重ねるごとに増えてくるなんて、素敵でしょう。

引用:カツ代レシピ(家の光協会)
「うどの梅あえ」(71ページ)より


高野豆腐

子供の頃はあまり好きでなかったのに、いつの間にか好きになった、それも大好きになった、というの、意外に多いですよね。
うちの子供たちはもう大きいのでとろろは好きになってますが、高野豆腐は苦手。
「口に入れて、噛むとシュワーと煮汁が出てきて、どうもとらえどころがない」そうな。
イヒヒ、そのうち「そこがなんともおいしい」って言うようになるに決まってるわさ。

引用:小林カツ代さんちのおいしいごはん(講談社)
「いつの間にか好きになったもの」より


思い出になる味

太巻きが、子どもたちに全然うけない、喜ばれない。
大阪人の私としては、太巻きの具に高野どうふはなくてはならないものなのですが、まりこやケンタロウにしてみると、太巻きをかみしめた途端、ブジュッと高野どうぶから汁がしみ出てくるのが、どうも嫌らしいのです。
甘いおかずが好きではないケンタロウは、でんぶもダメ。
この不人気ぶりには、がっかりです。
とはいえ、子どもに人気がないものは作らない、食べない、というのでは家庭からいろいろな味が消えていってしまいます。
(中略)
それから何年もたった最近、ケンタロウはどうも太巻き作りに興味がわいてきたみたいです。
「ああ、母はときどき太巻きを作っていたな」なんて思い出すみたい。
こんなふうに、大人になってからふと記憶がよみがえる、そんな『思い出になる味』があってもいいな、と思っています。

引用:ママは天才!(主婦の友社)
「子どもたちに不人気だった料理のお話」より


味の奥行き

こういう日本の伝統的なおかずは、人気のあるなしそっちのけで、とにかく食卓に並べる。
折りあるごとに断固、並べます。
大人になるということは体や脳が発達するだけでなく、「おいしいと思えるものが広がる、ふえる」ことでもあります。
これってうれしいと思いませんか。
いずれ、ふと、白あえやごまあえの味の奥行きに気づくときがくるのです。

引用:ママは天才!(主婦の友社)
「白あえ、ごまあえは大人の味!?」より

味をインプットさせる

私は子どもの好物をめったに作らない母親だったんですよ。
家でごく普通に食べているものが大事だから。
たとえば肉があれば野菜がつく。
ときどき魚も出てきて、「え〜、今日は魚なの」って子どもに言われながらも、「そうよ」と言って煮魚があり、かぼちゃの煮つけやごまあえがあり、という献立。
こういうのが食事だと思って育ってほしかったの。
あとは子どもの舌や脳に、どれだけいろいろな味をインプットできるかということ。
だからひじきや切り干し大根、高野豆腐だって出しますよ。
今、子どもは食べそうもないけれど、食卓に出しておくというのはとても大事なことだと思うんです。
子どもはどうしても好きになれない。
じゃあちょっと手伝うわ、と一緒に食べてみる。
でも無理に食べさせることはないから、「嫌なのはいいよ」って言うんですよ。

引用:小林カツ代の日常茶飯 食の思想(河出書房新社)
「小林カツ代&ケンタロウのキッチン対談」より


いろいろな味を体験させる

子供が嫌いなものでも、そ知らぬ顔で食卓に出したりもしました。
わが家は洋食が多かったのですが、味覚が発達する時期の子供にはいろいろな味を体験させたいと、煮物など伝統的な和食もよく作りました。
嫌いなものがあってもいい。
だけど、食べるチャンスは与えたい。
いつか好きになるかもしれないし、食べられなかったものが食べられたらうれいでしょう。
だから、みじん切りにしてわからないように食べさせるなんてことはしない。
それでは食べられたときの喜びがなくなってしまうもの。

いろいろな味を体験させるために、食事には細心の注意を払いました。
子供はぬめりがあると食べやすいから、炊き込みごはんにえのきだけや里いもを入れたり、けんちん汁に少しとろみをつけたり、煮物も食べやすいように切り方に工夫をしたり。
いつの間にか嫌いなものも食卓に出てるとつい手が出る。
そうやって子供たちに家庭の味が残っていけばいいなと思います。

引用:もっと、もっとげんきに! おうちごはん。(講談社)
25ページより


ケンタロウさんの思い

カツ代さんの考えに、ケンタロウさんはこう答えています。

味を知る大切さ

「ちっちゃいとき、嫌いなものも、よく出て来たんですよ。なぜあんなに、喜ばれもしないものを出したんだろうと思って、大人になってから聞いたことがあるんです」
カツ代さんから返って来たのは「味覚は変わるもの。今嫌いでも、いつ好きになるかわからないから、とりあえず味として知っておくべきだと思った」という答え。

引用:ケンタロウ直伝。彼と彼女の「楽しみ」ごはん(集英社)
「ケンタロウメニューのおいしさの秘密」より



 

嫌いな食材も食卓によく出てきたが、後に母なりの願いが込められていたことを知った。
「うちでは『残す』という選択肢はなかったので、嫌々でも飲み込んでいた。
でも、親に聞くと、『どうせ大人になったら自分の好きなものしか食べなくなる。
だから小さいうちに、たとえそのおいしさを理解できなくても、いろいろな味を知ってほしかった。
知っていれば、何かのきっかけで好きになるかもしれないから』と言うんです。

引用:新潮45(新潮社)
2010年9月号 インタビュー「私と母」より


初めて〇〇を食べる

赤ちゃんの「初めて〇〇を食べる」を紹介してくれる「solidstart」という Instagram アカウントがあります。
このアカウントがやっていることは、まさにカツ代さんが言う「いろいろな味を知ってほしい」そのものです。
味を知らなければ、「おいしい・おいしくない」「好き・嫌い」すらわかりません。
まずは、「知る」から始めることが大事なのです。

 

初めてブロッコリーを食べる

初めてビーツを食べる

初めてパプリカを食べる

初めてレバーを食べる

初めてグレープフルーツを食べる

とてもいい顔をします。

子供の味覚を育てるには

とてもいい記事です。
 

味博士の子供とうまみ教室 Vol.2 子供の味覚を育てるには

umamiのおべんきょうprojectの連載は、 農家さんや料理家さんなど食の現場に関わる方々から “おべんきょう”になるお話しをうかがいます。