「そのレシピ、どのケンタロウ本だったかな」に、発見がある。

ケンタロウ本に限らず、たくさんのレシピ本を持ってる人ほど「そのレシピ、どこかで見たような気がするけど、どの本だっけ」を一度は経験しています。

そのレシピ、どのケンタロウ本だったかな

私は毎日、いろんなケンタロウ本を手に取って見ています。
どの本にどんなメニューが載っていて、どんなエッセイがあって、どういう写真があるかはだいたい覚えていますが、全部は覚えてません。

なんとなく見当が付くメニューはいいのですが、まったくわからないのは手当たり次第に見ていくことになります。
これがとても疲れるのです。

たとえば、
・ルパン三世のミートボールパスタ
・火星カレー
・チャパティ的なもの
はどの本に収録されているメニューか即答できます。
メニュー名が独特だからです。
 
・ルパン三世のミートボールパスタ
 →うれしい煮もの(文化出版局)



 
・火星カレー
 →小林カレー(幻冬舎)



 
・チャパティ的なもの
 →おもてなし(文化出版局)



 
ところが、じゃがいもの〇〇やスープカレーなど、どの本にも載っていそうなメニュー名になると、途端に怪しくなってきます。

すぐに見つけたい

「そのメニュー、どの本だったかな」と気になったら、すぐにでも見つけたいです。
見つけるまでの時間は、短いほどいいです。
究極は0.1秒です。
時間がもったいないというより、「どの本だったかな」とモヤモヤするのが気持ち悪いのです。
「どの本だったかな」となるのはブログを書いてる時が多いので、見つからないことには先に進まないこともあります。
早く見つけたい時に限って見つかりません。
中途半端に覚えているせいで、本とメニューと写真が脳内でシャッフルされて余計にわからなくなってしまうのです。
本だけならまだしも、雑誌とネットも乱入し、勘違いと記憶違いも加わって、まさに底無し沼です。

「どのケンタロウ本だったかな」にはいいこともある

「どの本だったかな」と気になったらすぐに見つかるのが一番です。
でも、なかなか見つからないのは、悪いことばかりでもありません。
すぐに見つからなかったのが、かえってよかったこともあります。
それが発見です。
手当たり次第に本のページをめくっていて、「あ、ここにこんなことが書いてある」「こんなメニューあったんだ」といろんな発見があるのです。
その発見がブログのネタになったことは数え切れないくらいあります。
国語辞書である言葉を調べていて、関係ない言葉の解説に書かれたイラストをじっくり眺めてしまうのと似ています。
寄り道の発見です。
気になったメニューが一瞬で見つかってしまったら、発見はありません。
そのメニューが目的だからです。
「ああ、どれだったかな」とキョロキョロ迷いながら探すから発見があるのです。
作業効率から見れば、迷っている時間も労力も無駄です。
でも、新たな発見があれば、それは無駄ではなく、貴重な価値です。
山登りでも、なんの苦労もなく一瞬で頂上に着くのと長い時間をかけてクタクタになってたどり着くのとでは、見える景色は同じでも見え方はまったく違うのです。
 

今できること寄り道を、しよう。