ケンタロウさんのことがもっと深くわかる2つの方法

ケンタロウさんのことがもっと深くわかる方法が2つあります。

①カツ代本を読む

「ケンタロウさんのことを知るのに、小林カツ代さんの本なんて関係ない」は、大間違いです。
ケンタロウさんのことだからこそ、カツ代さんの本を読むのです。
母親だからという理由だけではありません。

私も、カツ代本を読むようになったのは、2、3年前からです。
避けてたわけではなく、思うことすらなかったのです。
完全に抜け落ちてました。

ある日、たまたま見つけた「ママは天才!」(主婦の友社)に衝撃を受けたのです。
「ケンタロウさんのことはケンタロウ本だけ読めばいい」と思っていた自分が恥ずかしくなりました。
「カツ代本を読まないのは、何も知らないのと同じようなもの」とハッと目が覚めたのです。
 


 
もし、カツ代本を読んでいなかったら、この「日めくりケンタロウ」は薄っぺらいブログになっていたでしょう。
それくらい大きな存在です。
参考書や副読本どころのレベルではありません。
必読書です。
ケンタロウ本だけを読んでいてもケンタロウさんのことはわかります。
ただ、それはケンタロウさんの見えている部分です。
表面です。
同時にカツ代本も読むことで、厚みが出て、ケンタロウさんのことが立体的にわかるのです。
ケンタロウ本では見えてなかった部分を補ってくれるのです。

たとえば、「健太郎」という名前の由来です。
ケンタロウさん自身は「男子ごはん」(テレビ東京)の中で「由来は知らない」と言ってます。
ところが、カツ代さんの「育児ぶっつけ本番」(大和書房)では、「健太郎」にした理由について書かれてあります。
 


 
親と子供では、見ている視線、見えている視線はまったく違います。
違うからこそ、両方の本を読むことでエピソードの一つ一つがよりはっきり見えてくるのです。

カツ代さんとの共著「カツ代流ほのぼのおかず ケンタロウ流思いっきりメシ」(講談社)に、ケンタロウさんからカツ代さんへの手紙があります。

料理が大好きになったのも母の影響以外の何ものでもない。
食べること、作ることの大切にする姿勢を教わった。

ケンタロウさん自身がそう言うのですから、カツ代本を読まない理由はありません。

カツ代本を読むのと読まないのとでは、ケンタロウさんの理解度はまったく違ってきます。
ケンタロウさんファンこそ、カツ代本を読んだ方がいいです。
「そういうことだったのか」の連続です。
読めば、もっとケンタロウさんのことが好きになります。
 


②ケンタロウ本を出版日の新しい方から読む

今、目の前にケンタロウさんの全著作があるとします。
あなたならどういう読み方をしますか。

私がオススメする読み方は、「出版日の新しい方からさかのぼって読む」です。

ケンタロウ本は、シリーズものの物語ではありません。
料理本です。
どれをどういう順番で読んでも問題ありません。
全部を読む必要もありません。
新しい方から読もうが、古い方から読もうが、自由です。
好きな本を好きに読んでいいのです。

私が「出版日の新しい方から読む」をオススメするのは、あるものが見えてくるからです。
それは軸です。

昨日、ケンタロウ本初期2冊のことを書きました。

・ケンタロウのはじめてつくる おとこの料理(朝日新聞社)
・ごくらくの食卓(主婦と生活社)

「出版日の新しい方から読む」の考え方だと、この2冊は一番最後に読んだ方がいいことになります。
この2冊には、ケンタロウさんの原点がギュッと詰まってます。

たとえば、「ケンタロウのはじめて〜」のまえがきには、「この本を利用してくださる方へ」があります。
「料理をしている時の気分は料理をしなければ味わえない」という考え方は、ずっと変わっていません。
これこそがケンタロウさんが伝えたいことです。
「こうやったらおいしくなるよ」というテクニックとは別の話です。

ケンタロウさんは、料理の作り方と同時に料理の楽しみ方も教えてくれています。
一見、作り方とは関係ないようなことでも、ちゃんと料理の楽しみ方につながっていたりします。
それがケンタロウ本の大きな特徴です。

「考えて、迷って、悩んで作ってほしい」は、もはや人生論です。
料理の枠を超えています。
考えるのも自由。
迷うのも自由。
悩むのも自由。
料理は権利なのです。

この2冊だけを読んでも、ケンタロウさんの原点だとはわかりません。
全冊をランダムに読んでも気づきません。
新しい方からさかのぼって読んでいくことで、ケンタロウさんの軸がだんだんと見えてきたのです。
「突然、見つかる」や「発見できた」とはちょっと違います。
軸が浮かび上がってくる感じです。

新しい方から古い方へと読み、さらにはカツ代本も読むことで、その軸はより鮮明に見えてきます。
ケンタロウ本とカツ代本は、料理本でありながら、壮大な物語でもあるのです。
 

今できること見えないところも、感じよう。