【ケンタロウさん】量より、思い。

ブログの読者から、Instagram 経由でコメントをいただきました。

経緯は省きますが、先日書いた図書館で借りたケンタロウ本の記事が気になったようです。

「あなたはケンタロウさんのファンだと言うが、なぜ図書館で借りるのか。所詮、その程度のファン」とありました。

この方が言うには、本を図書館で借りるのではなく、買うのがファンとしてのあるべき姿というスタンスのようです。
さらに「私は全冊持ってる」とアピールされてました。

どうやら「あなたより、自分の方がすごい」と言いたいようです。
こういう人を、マウンティングする人と言います。
相手より自分が優位に立ちたい人のことです。
マウンティングすることでしか自分の自信を保てないのです。

この方は、ケンタロウ本を「全冊持ってるからすごい」と思っています。
でも、それはあくまでもその方の尺度に過ぎません。
自分の物差しで相手を比べても意味がないのです。
人は人、自分は自分です。
自分にオリジナリティがない人ほど、人と比べたがります。

人それぞれのスタイルや楽しみ方があります。
事情もあります。
本は少ししか持ってないけど、でもケンタロウさんのことが大好きな人もいます。
私のように、図書館で借りて楽しむ人もいます。
そんなに熱心には集めてないし、詳しくもないけど、でも好きという人もいます。
誰が一番かは決めることはできません。
みんな同じファンなのです。

数で見れば、全冊持ってる人は一番です。
だからと言って、すごいファンとは限りません。
全冊持ってる人が10人いれば、団子状態でみんな同じです。
「全冊持ってる。だからすごいファン」は、あまりに安易な考え方です。

たとえば、車が好きな人にもいろんなタイプがあります。
車を10台持ってる人。
まだ教習所に通ってる人。
ペーパードライバー。
免許も持ってないけど、カタログや雑誌を見てるだけで満足な人。
誰が一番車が好きかは比べられません。

目に見える数字の部分は、表面にしか過ぎないのです。
目に見える部分はわかりやすいので、そこに注目してしまいがちですが、肝心なのは心の部分です。
いかに目に見えない部分を感じることができるかです。
気持ちは、数値化できません。
数値化できないから、イコール存在しない、ではありません。
むしろ、目に見えている部分の方が少なくて、見えない部分の方が圧倒的に多いくらいです。

この方は、他の記事にも気に入らなかったところがあったらしく、「あなたはケンタロウさんの好きな食べ物や嫌いなものを知っているのか」と指摘されていました。
私は、ケンタロウさんの学術論文を書いているのではなく、日記や読書感想文のような感覚で書いています。
日記に、正しいや間違いなどありません。
日記は日記なのです。
意見を持つのは自由ですが、それは自分の中で思えばいいことであって、わざわざコメントに書くことではないです。
私の考え方が気に入らなければ読まなければいいことですし、自分でブログでも立ち上げて、そこで持論を書けばいいのです。

いい勉強になりました。
コメント、ありがとうございます。

 

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