【ケンタロウさん】何をどう食べるかは、生き方だ。

ケンタロウさんは、「家族でごはんは大事」と言っています。
私はこれを読んだ時、ハッとしました。

 

家族でごはん

私にとって「家族でごはん」は、2つの意味で耐える時間です。

一つ目は、小学生の頃です。
私は好き嫌いが多かったのですが、母もそれを知っていて、食事中、私が嫌いなおかずを、正面に座る私のお茶碗に入れてくるのです。
それがとても嫌でした。
その時の感情は、今でもはっきりと覚えています。
毎日続くと、さすがに食事は楽しいとは思えなくなります。

もう一つは、中学生の頃です。
中学生になると、定期テストが学期ごとに中間と期末の2回あります。
ある日、晩ごはんの時にテストの答案を見せてと言われ、いつしか食事の時間にテストの答案を見せるのがしきたりになっていました。
親は、食事の時間はコミュニケーションの時間と考えていたようですが、テストの答案を見れば、コミュニケーションという名の説教に変わります。
説教されながらの食事は、きついものがあります。
下を向いて、ひたすら目の前の食べ物を飲み込む作業です。
味わっている余裕はなく、少しでも早くその場から逃げることだけを考えていました。
それは高校生になっても続き、食事の時間イコール説教の時間は恒例の行事になっていました。

ケンタロウさんのいう「家族でごはん」が、はるか遠くに感じます。

食べることに興味がない親

私の両親は、ともに食べることに興味がありません。
二人とも、いつも同じものを食べています。
母は、買い物に行ってもいつも同じ食材を買い、同じ材料を使って同じ味付けで作り、同じ時間に父と食べています。
父は、出されたものを黙々と食べています。
たまに小言を言いますが、母はスルーしています。
もちろん、冷蔵庫の中は、いつも同じ食材しかありませんし、野菜室にはいつも同じ野菜が入っています。
買う食材も安いものが一番と思っているようで、品質よりまずは値段です。
食べることに関心がないので、品質に興味がないのも納得です。
賞味期限もまったく気にしません。
期限が切れていても平気で食べています。
「開封後要冷蔵」と書いてあっても、猛暑日でも出しっぱなしです。
盛り付けにも無頓着です。
野菜炒めを作っても、フライパンの中身をそのまま皿に移動させるだけです。
その皿が欠けていても気にならないようです。
料理する前に手も洗いません。
洗い物をした桶で米を研ぎます。
包丁の切れ味もひどいです。
シンクや排水トラップを洗ったスポンジで食器を洗います。
もうなんでもありです。

外食もしません。
食べることに興味がないので、当然です。
友達と比べたことがないのでわからないですが、外食の回数はかなり少なかったです。
行ったとしても、いつも徒歩圏内の近所ばかりで、サザエさんに出てきそうな中華屋さんかファミレスが行きつけでした。
子供の舌にもおいしいとは思えない味で、「今日は外食だっ」というウキウキなテンションではなかったです。

昔、母が作る料理に我慢できなくなった私は、図書館で借りたケンタロウ本のレシピをコピーして渡したことがあります。
すると、よっぽど気に障ったのか、母は見ることもなく、すぐに突き返したのです。
母の「ありがとう、これで勉強するわ」を想定してた私は、言葉が出ませんでした。
私としては良かれと思ってたのですが、余計なお世話だったようです。
その時はさすがにショックでしたが、今思えば、料理に興味がないという意思表示だったのです。

何をどう食べるか

両親とも食べることには興味がありませんが、それも一つの生き方です。
何が幸せかは人それぞれなので、たとえ家族であっても、どうこう言う筋合いはありません。
私は、ケンタロウさんの本を読むようになってから、食べることを考えるようになりました。
食事というより食のあり方です。
何をどう食べるかは、とても大事なことだと気付いたのです。
私は、今まで母が作った料理を我慢して食べていました。
母の料理がおいしくないというより、好みが合わなかったのです。
味付けはもちろん、米の硬さや使う肉の種類や部位、野菜を切る大きさなど、いろんな好みが違いました。
1日3食の食事を我慢しながら食べるのは、かなりのストレスです。
それが実感としてわかったのが、一人暮らしをしてからです。
自分の好きな料理を、好きなときに、好きなように食べることができる気分は最高でした。

私にとって「家族でごはん」は耐える時間でしたが、学んだこともあります。
①たとえ家族であっても、好みは違う
②我慢しなくていい

家族みんながハッピーな食事が一番ですが、そうではないこともあります。
家族のために我慢するのも、それはハッピーではありません。
私は、我慢するのが当たり前だと思ってました。
でも、いくら家族のためでも我慢する必要はないと気づいてからは一気に楽になりました。
自分のハッピーを大事にしていいのです。
 

今できること自分の好きを、知ろう。