【ケンタロウさん】「騙されたと思って食べてみて」と「人生の半分損してる」問題

食事の時によくある会話で「騙されたと思って食べてみて」と「それ食べたことないなんて人生の半分損してる」があります。

騙されたと思って食べてみて

講談社Webマガジン「MouRa」連載「ケンタロウの恋するハッピーメニュー」の「アスパラのチーズペンネ」で、ケンタロウさんはこんなことを言っています。

ブルーチーズ、というだけで、もうどーぅしても食べられないという人は、きっとどうやって説得したっておいしくは食べられないだろうし、俺はよく言われるような「嫌いって言ってた人もみーんな、なぜかこれだけは食べられるんだよ。騙されたと思って食べてごらん」というようなことを言ってまで、誰かに食べてほしいと思ったことは一度もない。

引用ページ:アスパラのチーズペンネ|ケンタロウの恋するハッピーメニュー

たとえば、カレーが苦手な人がいて、その人に「このカレーはほんとにおいしいのよ、騙されたと思って食べてみて」と言います。
自分が作った場合だと、なおさら強く言ったりします。
言われた方は「いえ、結構です」とは断ることもできず、「ああ、そうなの?」と渋々食べることになるのです。
「わぁ、ほんとだ、おいしいっ」となればいいですが、そうなる保証はありません。
口に入れた手前、ぺッと吐き出すわけにもいきません。
苦虫を噛み潰すように飲み込むのが精一杯でもう食事どころではありません。

「騙されたと思って食べてみて」と言う側は、もちろん良かれと思って言うのです。
悪気はありません。
あくまでももてなしたい気持ちで言っているのです。
でも、言われた側はそうは受け取りません。
それを食べる食べない以前に、「騙されたと思って」は言われて気持ちのいい言葉ではありません。
「これおいしいのよ」とだけ言われる方がずっといいです。

人生の半分損してる

「そのおいしさを知らないなんて人生の半分損してる」もよく聞きます。
食べ物だけではなく、
「え、iPhone じゃないの? 人生の半分損してる」
「タイタニック観てないの? 人生の半分損してる」
「コストコ行ったことないの? 人生の半分損してる」
などあらゆることで言われます。

たとえば、私はケンタロウさんが好きですが、ケンタロウさんをよく知らない人に対して「ケンタロウさんの良さを知らないなんて人生の半分損してる」とは思いません。
逆に、私がよく知らなかったとしても「良さを知らなかったなんて人生の半分損した」とも思いません。
今から知ればいいからです。

ケンタロウさんを知ってよかったと思うことはあっても、徳をしたとは思いません。
そもそも損得の発想がありません。
物事を損得で考え始めたら何もできなくなります。

たとえば、「おすすめの料理本ある?」と聞かれて、ケンタロウ本を勧めても、その人に合っているかはわかりません。
相性もありますし、タイミングの問題もあります。
仮に合わなかったとしても、それは「いまいちピンとこなかった」というだけであって、決して「良さがわからないなんて人生の半分損してる」ではありません。
もし気に入ったなら、今から好きになればいいだけのことです。
徳とか損ではないのです。

ブルーチーズ